卒業@2003年-春

年度替わりの今,大学は新入生を迎えるための準備で大忙しです。

でも,出会いがある一方で,その前には別れがあります。今月,ゼミの4年生を送り出しました。

今年は3年ぶりに平和記念公園の国際会議場を使った卒業式ができました。

…で,これが晴れの日のゼミ生たち…です。卒業おめでとう!(^^)

大学では「今年は卒業式ができてよかったね」と,異口同音にたくさんの声を聞きました。ほんとによかったね~。

 

…と思ってたのですが,卒業式の後も寄せられる4年生たちから学生時代を振り返った言葉を聞きながら…よしだ,思いました。

彼らが「吉田ゼミでよかったです!」,「本当に楽しかった!」って言ってくれるのに,大きな会場で行われた卒業式のような晴れの場はまぁぜんぜん関係ないですね (^^;)。

 

彼らがいうのは…

コロナ禍の中でも,子どもたちと触れ合ったり…

 

第7波や第8波の中でも,お年寄りと絆を深める機会をもったり…

 

コロナなんかに負けないぞと…ゼミで遊びにいったり…

 

最後に…やっぱり大学生だもん。飲み会を実現させたり…

 

そして…何よりも…普段から,ここに来れば仲間がいる…という環境があったこと。

 

これが本来あるべき大学生の姿だと…それを取り戻せるときがもうすぐそこにやってきているし,大学として私たちはそれに応えられなければならないと,彼らと一緒に過ごしながら私自身が学ばされました。

 


 

思えば,この3年間,何かにつけ,「コロナ」,「コロナ」と…新型コロナ感染症が大きな脅威であることはわかるのだけれども,大学教育もコロナ対策という降って湧いた大義に振り回されてきました。今,ちょっと落ち着きを取り戻して来ているように思いますが,何が変わったのでしょうか?

たぶん,コロナウィルスは大して変わってないし,相変わらず脅威なのは間違いありません。

変わったのは私たち人間の側のコロナに対する考え方や行動のような気がします。つまり人の「心」ですね。我々人間って,そんなものかもしれません。

 

12年前にも,私たちは大きな脅威に見舞われました。2011年3月11日に起こった東日本大震災です。

そのときに私たちが学んだことを象徴する言葉が「絆」でした。

人と人との繋がりがいかに大切であるかを,深い傷つきを経験する中で日本人の多くが学んだのに,同じ口から,「三密回避」,「離れなさい」,「おしゃべり禁止」,「オンラインで十分じゃない」…というようになった世の中に,ずっとモヤモヤを感じていました。

同じような気持ちを感じてきた人は多いのではないでしょうか。

 

でも,「絆」って,「繋がり」って何なのでしょう…。

 

東日本大震災において,被害,特に人的被害を大きくした要因が,同時に発生した津波でした。多くの方たちがそれから逃げ遅れるなどして,命を落としてしまいました。当時のいろいろな話を聞くに,とても痛ましいのが,これによって家族を亡くした方たちがたくさんうまれたことです。そして,さらに痛みを感じるのが,逃げ遅れた理由に家族の心理がかかわっているケースも多くみられたことです。

 

津波が迫る中,学校で,幼稚園や保育園で,子どもが待っているかもしれないと,迎えに行こうとして津波に巻き込まれた方たち…

家族が帰ってくるかもしれないからと,逃げずに家に残って待ち続けたために被害にあわれた方たち…

その待つ家族を思い,家へと向かった方たち…

 

三陸地方には,「てんでんこ」という昔から伝わる言葉があるそうです。

「津波が起きたら,人のことは構わず,家族が一緒でなくても気にせず,てんでんばらばらに,自分だけでも逃げて,命を守れ」というような意味だそうです。

そうやって,家族のそれぞれが生き残ることができれば,また会える。

 

一見,薄情なようだけれども,相互の深い信頼がないと決してできない行動でしょう。

本当の「絆」や「繋がり」とはこういうものなのではないか。そう考えるようになりました。

 

学生たちは,今,それぞれが個に戻り,てんでんに社会に出ていきました。

私たちの「絆」が意味をもつのは,これからなのかもしれません。

 

ご卒業,本当におめでとう!!!

大切な仲間であるみなさんのご健勝とご活躍を心からお祈りしています!